はじめに – 日本教育の根深いパラドックス
「個性を大切にします」「一人ひとりの良さを伸ばします」—日本の学校のHPや教育方針を見ると、こうした美しい言葉が並んでいます。文部科学省も1980年代から一貫して「個性重視」を掲げ続けています。
しかし現実はどうでしょうか?同じ制服、同じ髪型、同じペースの授業、そして偏差値による序列化。「みんな違ってみんないい」というのは建前で、実際は「みんな同じでみんないい」になってしまっているのが日本の教育の実態です。
なぜこのような矛盾が生まれるのでしょうか?そして、家庭では何ができるのでしょうか?教育社会学の知見を基に、この根深い問題の構造を解明していきます。
日本教育の構造的問題:「垂直的序列化」と「水平的画一化」
本田由紀教授が明かした教育の二重構造
東京大学の本田由紀教授は、著書『教育は何を評価してきたのか』の中で、日本の教育制度が抱える構造的問題を鮮やかに分析しています。それが 「垂直的序列化」 と 「水平的画一化」 という二つのメカニズムです。
垂直的序列化とは
相対的で一元的な「能力」に基づく選抜・選別・格付けを意味しています。大学の一般入試で求められるような学力的なものさしと、AO入試で求められるような人間力的なものさしによる序列化です。
これは、登山に例えれば、登る山を勝手に決められ、そこに若者が殺到しているという、そういったイメージだと本田教授は表現しています。
水平的画一化とは
単純にいえば「前へならえ」とか「右向け右」のように、特定の振る舞い方や考え方、すなわち「態度」及び「資質」を全体に要請する同調圧力のことです。
つまり、日本の教育は 上下の序列は厳しく分けるが、横並びでは徹底的に同じであることを求める という、相反する二つの力によって支配されているのです。
なぜこの構造が生まれたのか?
この二重構造は偶然生まれたものではありません。日本の近代化過程において、以下のような歴史的背景があります:
1. 明治維新からの富国強兵政策
- 欧米に追いつくため、効率的な人材育成が急務だった
- 均質で従順な労働者を大量生産する必要があった
- 上級幹部候補は選抜で決める「エリート主義」が採用された
2. 戦後復興期の経済発展モデル
- 均質な人材を育成する教育から、個人の個性や能力を最大限に伸ばす、多様性を重視した教育に転換しなければならないと日本経団連も指摘していますが、実際は高度成長期の成功体験から脱却できていません
3. 国際競争における「標準化」の必要性
- OECD諸国との比較で教育水準を測る必要性
- 「みんなが一定水準以上」という平等性の重視
「個性重視」という建前の歴史
ゆとり教育の理念と挫折
1980年代から始まった「ゆとり教育」は、まさに個性重視教育の象徴でした。
臨教審は「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「国際化、情報化など変化への対応」などの、ゆとり教育の基本となる4つの答申をまとめたのです。
しかし、80年代の教育改革にはもう1つの側面があった。それは時代の変化への対応だ。21世紀の情報化社会を見据えて、そこで必要な学力の変化、そこで求められる学力への対応が問題とされたにも関わらず、実際には:
- 学力低下論争の勃発
- 保護者の不安増大
- 私立中高一貫校への逃避
- 結果的な「脱ゆとり」への転換
という結果に終わりました。
なぜ個性重視教育は根付かなかったのか?
1. 評価システムの問題
「学習指導要領はミニマム(最低線)」との発言は教育現場を騒然とさせた。しかもそれは建前であって、「実質上は最高規則(上限基準)として機能していた」ことが判明しました。
つまり、「最低限やればいい」と言いながら、実際は「これ以上やってはいけない」という上限として機能していたのです。
2. 社会システムとの不整合
- 大学入試制度は従来通りの偏差値重視
- 企業の採用も学歴・偏差値中心
- 保護者の価値観も「いい大学→いい会社」のまま
3. 教員養成・研修システムの問題
特色ある教育を実施するための環境が整備されていない。初等中等教育では、国は「特色ある学校づくり」を求めながらも、そのための具体的支援が不足していました。
現場で起きている矛盾の実例
学校現場の「建前」と「本音」
建前:「個性を大切にします」
- 学校案内やHPには必ず書かれている美しい理念
- 教育目標として掲げられる「一人ひとりを大切に」
- 保護者会で語られる「お子さんの良さを伸ばします」
実態:画一化を求める日常
- 服装規則: 髪の色、長さ、靴下の色まで細かく規定
- 授業進度: 全クラス同じペースで同じ内容
- 評価基準: 相対評価による順位付け
- 行事指導: 「みんなで同じように」が基本
立命館アジア太平洋大学学長・出口治明氏の指摘
日本では画一的な教育をして、偏差値で上からクラスを分ける。僕はね、高校は偏差値クラスと変態クラスに分けようと提案したい。偏差値クラスは今まで通りでOK。点数が上がることを喜ぶ子どももいるから。でも、そうじゃない子どもは好きなことを徹底的にやればいい
この発言は、現在の教育制度の問題点を端的に表しています。
国際比較で見る日本の特殊性
海外の個性重視教育
アメリカの例
アメリカは個別主義の国です。たとえば学校に入学するテストでも、日本ではみんな同じ試験を受けて、点数により合否が決まる。でもアメリカでは、合格って人それぞれなんですよね
北欧の例
ニュージーランドや北欧など欧米各国では、教育現場に子どもの個性を伸ばすカリキュラムを導入します
日本の特殊性の根深さ
日本は平均値が非常に高いので、基礎学力は非常に高いんです。だから、みなさんのお子さんは、世界の子どもたちと比べても基礎学力は高い。その代わり、個性がない
これは教育移住の専門家イゲット千恵子氏の指摘ですが、日本の教育の本質的問題を表しています。
なぜ変われないのか?システムの構造的問題
1. 制度の相互依存関係
大学入試制度
- 依然として偏差値中心の選抜
- AO入試も結局は「優等生」を選ぶ仕組み
- 私立中高一貫校の台頭で早期化
企業の採用システム
- 学歴フィルターの存在
- 新卒一括採用による画一化圧力
- 終身雇用制度による「安全志向」
保護者の価値観
- 「みんなと同じ」安心感への依存
- リスク回避的な教育選択
- 「出る杭は打たれる」文化の継承
2. 教育行政の縦割り構造
初等中等教育では、国が策定する学習指導要領は、日本人として身につけるべき素養や知識などに関する最低基準とすべきであるという理想と、実際の運用に大きなギャップがあります。
3. 評価システムの硬直化
教育現場では個性や多様性を目指すどころか、教える力(教育力)をも低下させているという指摘があるように、個性を評価する仕組み自体が確立されていません。
家庭でできること:本当の個性教育のために
1. 「違い」と「間違い」を区別する
「違い」は、ただ、「同じではない」だけのことですが、「間違い」は、「あやまり」とある通り、正しくないことであり、他に正解があるという意味です
実践的なアプローチ
- 子どもの選択を尊重する: 服装、趣味、進路に関して
- 多様な価値観を示す: 「成功」の定義を複数持つ
- 失敗を許容する: チャレンジを評価し、結果を責めない
2. 創造性を育む環境作り
創造性とは、「アイデアを思いつく」のではなく「新たな価値をつくりだす」ための資質です
具体的な方法
- 自由度の高い遊び: ブロック遊び・砂場遊び・お絵かき
- 制約のない表現活動: 正解のない創作活動
- 様々な体験機会: 多様な価値観に触れる機会
3. 個性の発見と育成
お子さま自身が「自分らしさ」に気づくのは容易ではありません。個性を伸ばすためには、まずお子さまの個性を親御さんが客観的な視点を持って観察し、好きなことや夢中になっていること、得意なことを見つけましょう
観察のポイント
- 子どもが自然に集中すること
- 繰り返し選ぶ活動や対象
- 独自のアプローチや発想
- 他者との違いを感じる部分
4. 学校教育への適切な距離感
日本の教育に足りないものは、ぜんぶ親が後で自分の家で補ってください。もう学校が変わるのを、待っていたら卒業してしまいますので。自分でやりましょう
家庭の役割
- 学校で抑制される個性の解放
- 多様な価値観の提示
- 失敗を恐れない環境の提供
- 子ども固有の才能の発見と伸長
海外教育移住という選択肢
増加する教育移住の背景
日本の画一的な教育システムに疑問を感じ、年長の子の小学校入学先としてニュージーランドを検討中。治安が良く、公立小の教育レベルが高い。何より個人を尊重する教育方針に魅力を感じている
このように、日本の教育制度に限界を感じて海外移住を選択する家庭が増加しています。
教育移住のメリットとデメリット
メリット
- 真の個性重視教育: 個人の特性に応じたカリキュラム
- 多様性の日常化: 異なる文化・価値観との共存
- 創造性重視: 正解主義からの脱却
デメリット
- 文化的アイデンティティの問題: 日本文化との距離
- 言語の問題: バイカルチュラルの課題
- 経済的負担: 移住・教育費用
何かを選べば何かを失う。それもひとつの側面です。しかもその失ったものに当の子どもはひょっとしたら永久に気付かないという指摘も重要です。
企業・社会に求められる変化
採用・評価システムの革新
必要な変化
- 学歴偏重からの脱却: 多様な能力評価軸の導入
- ジョブ型雇用への転換: 専門性重視の採用
- 通年採用の拡大: 個人のペースに応じたキャリア形成
ダイバーシティの真の実現
ダイバーシティの話は簡単です。昨年ラグビーのワールドカップで日本のワンチームがベスト8に入りましたね。日本人だけではなく混ぜたチームだったから、いい成績を残せた。混ぜたら強くなるんです
出口治明氏のこの指摘は、教育だけでなく社会全体に当てはまります。
教育改革への道筋
本田由紀教授の提案する「水平的多様化」
本田さんは「水平的多様化」という道標を「垂直的序列化+水平的画一化」からの出口として提示します。画一化から多様化へ。ものさしを増やして登りたい山を増やす
具体的な改革案
- 高校の学科多様化
- 学習指導要領の簡素化
- 「特別の教科 道徳」の廃止
- 学級・学年制度の柔軟化
- オランダのイエナプラン教育の参考
段階的な変革の必要性
短期的施策(1-3年)
- 評価方法の多様化: ポートフォリオ評価の導入
- 選択科目の拡充: 個人の関心に応じた学習
- 服装・校則の見直し: 不合理な規則の撤廃
中期的施策(5-10年)
- 入試制度改革: 多面的評価の本格導入
- 教員養成改革: 多様性を尊重できる教員の育成
- 地域連携強化: 学校外学習機会の拡大
長期的施策(10-20年)
- 社会システム変革: 企業の採用制度改革
- 価値観の転換: 成功概念の多様化
- 国際標準化: グローバルスタンダードとの整合
保護者が今すぐできる具体的行動
1. 家庭環境の整備
物理的環境
- 多様な本や教材: ジャンルを限定しない読書環境
- 創作スペース: 自由に表現できる場所
- 静かな集中時間: 深く考える時間の確保
心理的環境
- 失敗の許容: 挑戦を評価する文化
- 個性の尊重: 他者との比較をしない
- 多様な価値観: 成功の定義を複数持つ
2. コミュニケーションの質向上
画一的に全て信じ込んで行なうのではなく、「子どもは」ではなく、目の前にいる「その子は」どういう子で、どんなことに喜びを感じ、どんなことにやりがいを感じ、どんなことを大切にしてるのかを理解することが重要です。
実践方法
- 質問の質を上げる: 「どう思う?」より「なぜそう思う?」
- 答えを急がない: 子どもの思考プロセスを尊重
- 多様な正解を示す: 一つの問題に複数の解決法があることを教える
3. 学校との適切な関係構築
バランスの取り方
- 学校教育の良い面を活用: 基礎学力や集団行動の学習
- 不足部分を家庭で補完: 創造性や個性の伸長
- 過度な期待をしない: 学校に完璧を求めすぎない
4. 地域・社会との連携
ネットワーク作り
- 同じ価値観の家庭との交流: 孤立を避ける
- 多様な大人との接触: 職業観や価値観の多様化
- 地域活動への参加: 学校外での学習機会
成功事例から学ぶ
海外事例:フィンランドの教育
フィンランドの教師は、子供の自己主導的な学びをサポートし、個別のニーズに合わせた教育を目指しています。これにより、子どもたちは自己学習や成長の能力を培い、AI時代に適応することができるとされています
国内事例:オルタナティブスクール
日本国内でも、以下のような取り組みが始まっています:
- デモクラティックスクール: 子どもの自主性を最大限尊重
- フリースクール: 不登校児童への個別対応
- インターナショナルスクール: 多様性を前提とした教育
まとめ:真の個性教育に向けて
構造的問題の認識
日本の教育における「個性を伸ばす」という建前と画一的な実態のギャップは、単なる現場の問題ではありません。「垂直的序列化」と「水平的画一化」という2つのキーワードで表現しているように、制度に深く埋め込まれた構造的問題なのです。
家庭の重要な役割
学校制度の変革を待つのではなく、日本の教育に足りないものは、ぜんぶ親が後で自分の家で補ってくださいという姿勢で、家庭が教育の主体性を取り戻すことが重要です。
長期的視点の必要性
真の個性教育の実現には:
- 個人レベル: 家庭での価値観転換と実践
- 地域レベル: 多様性を認める文化の醸成
- 社会レベル: 制度・システムの抜本的改革
- 国家レベル: 教育政策の根本的見直し
これらが連動して進む必要があります。
最後に
みんな違ってみんないいは建前。本音は、みんな違ってみんないいわけないよねという現実を変えるために、私たち一人ひとりができることから始めていきましょう。
子どもの個性を真に伸ばすためには、大人の意識改革こそが出発点なのです。みんな違ってどうでもいい—そんな社会を目指して、今日からできることを始めてみませんか?
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